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今回のテーマは、「裸足で歩く人々の調査」についてです。

〜Vol.2〜 <裸足で歩く人々 調査決行@・・・> 2005 Dec.

★後ろ髪★

 当時、私の接骨院の従業員数は12名でしたが、1日250〜300人の患者さんでごった返していました。狭いせいもあり、待合室と治療室の入り口付近は満員電車のようでした。
その中では、瞬時の判断が要求され、その連続により何とか1日を終えることができたのです。その頃は、「治療を休む時は、死ぬ時だ」と本気で考え、それも実行していた時期でした。だから、たとえ調査であれ何であれ、1〜2週間治療室を空けるということは身を削られる思いであり、また、出発の時は、後ろ髪を引かれるという言葉の意味はこういうものかと分かった気がしました。しかし、それを振り切る、じっとしていられない思い、「知りたい、今行かなければ」という胸騒ぎや不安にも似た焦りが上回り、調査を決行したのです。

★孤独な調査★

 調査には、ガイド、通訳、それに誘拐されないよう兵士を雇わなければならず、いろいろな費用も思いの外かかってしまうものです。調査は、初めのころインドネシア奥地で裸足の生活をしている人たちが対象でした。ただ町へ出るときは、タイヤの一部を切って作ったサンダルを履いていました。村人の生活習慣や文化も何も分からず、その上予備知識の準備もできていなかったので、一人では何もできず、ただただ孤独でした。夜は、一日の緊張と暑さでぐったりするだけです。最初の1週間はいつも気の休まることはなく、気の弱さを嘆いたものです。
村の風景は、私の小学校時代育った田舎に似ていましたが、ところどころにそれよりずーっと昔に感じられる風景が多くありました。1週間が過ぎる頃、やっと心が通じ合い、朝起こされるまで寝ていることができました。
調査は、ガイドに頼んで村人を集めてもらうのですが、初めは大人でもなかなか出てこない、かなりシャイで純心さが伝わってくる中、1000ルビア(当時の日本円で80円位)をあげると、みんなわれ先にと協力してくれました。

★結果★

 車で、更に内陸部へ向かっていたとき、村が見え小学校があったので突然訪ねて、校長に訳を話すと、心よくその日の授業を中止し、足の調査に生徒全員が協力してくれました。貴重な調査結果がいくつも出ました。裸足で歩く国の小学生と、日本の小学生の比較調査でも、外反母趾や指上げ足(浮き指)の場合、どちらも小学校へ入学する前は大きな差はなかったのですが、1年生から6年生へと年齢が上がるにつれ、大きな変化が見られました。
 日本の子どもの場合、年齢が上がるにつれ、外反母趾や指上げ足(浮き指)が増え、それに伴って指あげ歩き(歩行時、足指が地面に接地しない歩き方)が増え、特に3〜4年生位からその変化が目立ち始めました。
 一方、裸足で歩く国の子どもの場合、年齢が上がるにつれ、逆に足の指がしっかり地面を捉え、踏ん張って歩くようになってきます。やはり、3〜4年生位からはっきりしてきます。
 この違いから、一生の足は小学校3〜4年生で決まってしまうと言っても過言ではないと考えられます。そして、足裏には適度の刺激が必要であり、その刺激が足裏の「足底反射」を促すことで足底筋群が鍛えられ、足裏が安定してくるものと以前から推測していたことの裏付けだったのです。

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